校歌・応援歌(函商百年史より)
 

校歌

作歌:青木 存義
作曲:信時 潔

1.
大空の星の王座に 衆星を統ぶる北辰
  其の影を理想と仰ぎ 大日本北の固めと
  生立ちし我等千餘の 学びの子務重し

2.水清き巴港に集ふ 百船を眼下に見つつ
  そそり立つ臥牛の山の 姿こそ我等の抱負
  百三十年の古き歴史に 学舎のほまれ高し

3.芳しき名も五稜郭 朝夕に偲ぶ遺烈に
  たゆまざる心をきたへ 海山に満つる宝を
  此の手もていざや拓かん 我等こそ平和の戦士

4.行手さす不断の光 大空に影は尊し
  見よや此の双の腕を 商界の王者と立ちて
  日の本の富の基を 築くべき力あふる

 本校最初の校歌は元町校舎時代の大正2年頃に制定され、”ああ玉杯に”の曲を借りて歌われていました。 
しかし、昭和4年5月、創立40周年記念事業の1つとして五稜ヶ丘時代にふさわしい新校歌が制定されました。青木存義(文部省図書局編修課長)の作詞、信時潔(東京音楽学校教授)の作曲となり、歌詞の第2番5節が10年ごとに書き替えられるユニークな校歌です。

※2006年11月から【 百二十年(ももふそとせ)の古き歴史に 】 と歌われていました。
  2016年(創立130周年)から 【 百三十年(もみそとせ)の古き歴史に 】に変更しました。
 

五 稜 ヶ 丘

作詞:旧26回生有志
曲:「自由ヶ丘」(作詞・作曲 不詳)を拝借
制定:大正13年(歌唱初めは大正11年)

1.
五稜ヶ丘の浅緑 今は男の濃紫
  津軽の海の浪荒れて 男心の大怒濤

2.起てよ乱打の鐘が鳴る 力と正義と戦と
  三つは俺らの華ぢゃもの 
  函商のマークは 伊達ぢゃない
  フレッショ フレッショ フレー フレー フレー

由来:大正11年10月15日校舎新築記念運動会3年生(=後の旧26回生)の応援歌。大正13年5月11日函館市内中等学校5校による第6回マラソン大会のための応援歌に制定され、学年の応援歌の「緑のパンツは伊達ぢゃない」は「函商のマークは伊達ぢゃない」に変更され歌われた。結果は函商が上位1、2、3位を占め(2連覇)、その戦勝歌となった。
 

チ ャ イ ナ メ 節

チンチンチャイナメが ウェルウェルロー
ノメサケブロックブラック シャチマッチシャン
アッハハーアッハハー
チャイナメがモノメキャ ウェルウェルロー
ロングウオッシュ ウオッシュシュが
ウェッシをシロー
ホマイチンがストライキで ポリスマンのケーン
ネクトファッシュ ファッシュシュが
ポリテマンテ シャン
アッハハーアッハハー
(4行目から繰り返し)

元歌:明治35年頃のはやり唄「チンチンチャイナメン」を拝借
原曲:オペラ「The Geisha」(初演は明治29年)の劇中歌「Chin Chin Chinaman」
制定:大正5年(歌唱初めは大正3年)
由来:歌唱以来ルーツは不明であったが、平成25年新13回生大角愼治がルーツ(元歌・原曲)を発掘。制定は私立北海中学校野球部との戦勝歌による。
 

函 館 商 業

歌詞・旋律とも札幌農学校恵迪寮寮歌「ストームの歌」(一番は明治38年、二番、三番は明治43年作を拝借。
制定:大正11年か12年

1.函館商業は蝦夷ヶ島 ドバが住む
   エルムの木陰できたえたる コチャ
     函商の選手にゃ 骨がある コチャエ コチャエ

2.取るなら取ってみろ優勝旗 渡しゃせぬ
    五稜ヶ丘できたえたる コチャ
     函商の選手にゃ 骨がある コチャエ コチャエ

由来:元歌は新13回生大角愼治が確認。旧25回生(大正13年3月卒業)が歌っていたので、大正11年か、12年頃の歌であると伝えたのは新6回生青木鎮夫である。歌詞の土馬は「ドバ」という表記が正しく、意味は駑馬(ドバ=足ののろい馬)のことではないか(大角)。
歌詞の「土馬(ドバ)」は校長先生のあだ名だという(青木)。

 

豪 気 節

歌詞・旋律とも國學院大學「國大数え歌」を拝借。
制定:昭和21年頃(推定)

一つとせ ひとつ史跡の跡に立つ 函館商業はボロ校舎
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

二つとせ 古き校舎も何のその 熱と意気とはシンボルだ
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

三つとせ 道行くやつらを呼びとめて 歌を歌えば胸がすく
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

四つとせ よその学校に比べたら 朝から景気のよいところ
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

五つとせ 粋な黒線横にまき 黄金のマーキュリーだてじゃない
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

六つとせ 向いに秀峰駒ヶ岳 後ろに臥牛がひかえてる
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

七つとせ 長いスカートひらめかし 向うを通るは 女学生
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

八つとせ ヤボな授業のをきくよりも(出るよりも) 大門通りをのし歩く
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

九つとせ 今夜は二人で飲みに行く 酒は俺らの良い薬
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

十っとせ 都会と名のつく函館も 若いおいらにゃ 狭すぎる
  そいつは豪気だね そいつは豪気だね

※一つとせから五つとせまでは歌い継がれてきたが、六つとせから十っとせまでは、不詳なりしものを新1回生新島哲也、新7回生小柳敬ほかにより当時の歌詞が再現された。

由来:國學院大學OBの柳川徳蔵教諭が同学の「國大数え歌」を替え歌で「豪気節」として伝えたのではないか。
 

星 辰 乱 る

作詞:細野  哲雄 教諭(国漢)
作曲:五十嵐 萩緒 教諭(英語)
制定:昭和21年6月

一.星辰乱る北海に 健児なしとは誰か言う
    此処稜原の鉄塁に 意気結びたる若人が
      紫紺の旗をひるがえし 歓声あげる晴れ戦

二.生命清き白雪の 臥牛の山の精をうけ
    五稜の森の朝風に ばんだを誇る若桜
      意気たくらんの若人が 滔天の意気知るや君
 

あ ゝ 一 酔

作詞:高岩 辰蔵(旧22回=大正10年3月21日卒業)
曲:旧三高の野球部歌「霜に乱るゝ暁の」(明治41年作)の借譜
原曲:海軍軍歌「黄海之戦」(明治28年作)

一.あゝ 一酔の春の夢
    髀肉の嘆きかこちしも
      血潮の色の緋と燃えて
        鉄脚ためさん秋は来ぬ

二.あゝ 血に飢えし此の剣
    意気に奮ふを如何にせん
      秋水のもと殺気満つ
        闘わんかな 友よいざ
   フレッショー フレッショー
    フレー フレー フレー

※譜の「一高寮歌」の箇所を旧35回生蜷川敬太郎の新資料により「三高野球部歌「霜に 
  乱るゝ暁の」に修正

由来:永い間旧一高寮歌とされてきたが、平成13年旧35回生蜷川敬太郎が旧三高の野球部歌「霜に乱るゝ暁の」ではないかと指摘。平成26年新12回生伊藤正大と新13回生大角愼治とが海軍軍歌「黄海之戦」であることを確認した。
 

函 商 逍 遥 歌

作詞:細野  哲雄  教諭(国漢)
作曲:五十嵐 萩緒 教諭(英語)
制定:昭和21年6月:

一.九十の春は長からず 花の褥に憩うとき
      うつろい易きたまゆらの
      若き生命ぞ惜しまるる

二.眉秀でたる健児等の 憬れ集う五稜ヶ原
     黒き二線にマーキュリー
      示す誇りを知るや君

  -(以下省略)-
 

臥 薪 嘗 胆

作詞・作曲等不詳。歌詞は4番まであるが、2番まで伝承されている。

一.臥薪嘗胆
    一年過ぎりやサイサイ
    月の桂で ドンガラガンのガン
    花が咲く セッセッセ

二.意気で通せば
    千里も一里 サイサイ
    有象無象で ドンガラガンのガン
    闇の中(突破する) セッセッセ

※歌詞の一部「突破する」を新13回生大角愼治の新資料により「闇の中」に修正。

由来:大正時代には歌われていたらしいが、昭和40年代に歌われなくなった。